こんにちは、飛び火です。
双極性障害とその他もろもろ大量の精神疾患を持っています。
さて、先日お腹を壊しました。
味玉を4つ一気に食べたくらいしか理由が思い浮かばないしそれくらいでお腹を壊すとも思えないのですが、とにかく、お腹を壊したらしく深夜激しい腹痛に襲われました。
すごく痛い。
すっごーーーく痛い。
スクラビングバブルのトイレスタンプが香るトイレの中、鈍い腹痛と鋭すぎる肛門痛に寒気を感じながら、虚空を見つめていました。
幸い大きな波は2度ほどトイレにこもると治まりました。
その後はなんとなく不穏な動きをする腸に怯えながらも何事もなく眠ることができ、とりあえず安心。
次の日も引き続きお腹が変でしたが、まあ、それは今は置いておきましょう。
一通りお腹を下し終わった後、絶対安静の布団の中で思ったことがあります。
※遅くなりましたが、汚い話をして申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます。
精神の病みは身体の激痛の前にあまりに無力だ
さっきまでヤバめの腹痛に襲われてトイレに伏してたんですけど治まった今思うのは人は生命の危機に瀕すると精神の病みどころじゃなくなるってこと。痛んでいる間はそれだけで身も心もいっぱいいっぱいで激痛に耐えゆっくりと時間を経過させるしかできなかった。死にたいと思う暇なし。命あっての病み。
— 飛び火 (@tobihism) 2019年7月4日
こういうことです。
この日は結構な鬱の日でずっと空虚で泣きたくなってたんですけど、腹痛が現れた途端、頭の中は痛みのことでいっぱいになりました。
ちょww痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いwwwwアッーアーーーーッ無理無理助けて、死ぬ死んじゃうーーーーーーッッwwwww
実際はこんなもんじゃありませんでしたがライトに表現するとこうなります。
頭の中、「死にたい」とか「つらい」とか「将来の不安」とか「漠然とした悲しさ」とかそういうものの入り込む余地がゼロだった。
- 痛い
- 無理
- お願い助けて痛すぎる
これくらいしか頭になかった。
死ぬほど痛かったのでなんなら「死ぬのは嫌だ、生きたい」とさえ思いました。さっきまで死にたがっていた人間がです。
精神の病みが身体の痛みによって無力化されてしまった。
痛みは人間が危険を回避するための機構なので、痛みを感じる=自動的に「生きたい」と思うのかもしれません。上手く出来てますね。
で、これって、「めちゃくちゃ強い刺激が与えられるとその時は憂鬱な気分を忘れられる・吹っ飛ぶ」ってことなんですよね。
それで、今書きながら気付いたんですけど、これ依存性高そうじゃないですか?
痛みで辛さが忘れられるから心を病んだ人は自傷をするしSMにハマる説
例えば自傷行為。
自傷をすると脳からアドレナリンやらエンドルフィンやら快楽物質が出ます。
それと同じものが先ほどの腹痛時にもおそらく出ていました。
強い痛み→辛さがなくなる!
例えば、もしあの腹痛を自在に呼び起せるならまた呼び起しているかもしれません。痛くて辛くて本当に嫌だった半面クセになりそうな快感がありました。ゾクゾクしてなんだか気持ちよく感じたんです。
きっと自傷行為も同じでしょう。
繰り返し手首を切る人の気持ちがちょっと分かったかもしれないです。(本当は普通に理解できる)
SMにもハマりやすそう
また、SMのMの方に関しても痛みがキーだったりしますよね。(やったことないけど)
お願いしたり服従したりしていれば痛みを与えてくれる人がいたら、脳から快楽物質出して色んなこと忘れたいメンヘラはすぐハマっていきそう。
私に関して言えばそもそも痛いのがめちゃくちゃ好きなので絶対にハマります。←危ないので手を出さないと決めている。
痛いのは痛いから辛いんですけど、なんか好きなんですよね。
まとめ:結局、痛みに頼らず鬱治すのが1番ですね……
話がめちゃくちゃ逸れてしまいました。
まとめます。
- 痛みによって精神の病みを吹き飛ばせたり一瞬忘れられたりすることを発見した
- 痛みによって快楽物質が出るからでは?
- これって自傷行為にも共通するね
- SMもきっとそうだよね
- 痛みによる精神の不安緩和、依存性ありそうで危ないからやめた方がいいね
- ていうか普通に鬱を治したい(躁も治したい)
こんな感じになりました。
痛みという劇薬に頼りすぎると別の問題が生まれそうなのでやっぱり正攻法(精神科や心療内科)で治していくのが良さそうですね。
それでは、身体の痛みと心の病みの関係のお話でした。
読んでくださりありがとうございました。
生きるとか死ぬとかコミュニケーションとかばっかり言ってる飛び火のTwitter→@tobihism
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