劣等感ライジンガー

僕は「いいね!」が嫌いだ。

投稿日:2017-04-06 更新日:

わたしはFacebookを使ってます。

 

Facebookといえば、「友達」が日常でのできごとを思い思いにつづって投稿し、それに対して「いいね!」や「コメント」つけたりつけなかったりしながら他人との交流を図ったり図らなかったりする場です。

 

「いいね!」

 

Facebookのいいね!ボタンに何も文句はありません。

ツイッターの「お気に入り」(前に「いいね」に変わりました)よりも、目立つところに履歴が残らない分気軽に押せますし、単に「いいね!」という名称なだけで、「読んだよ!おつかれ!」みたいな意味合いだと認識してるから。

もちろんツイッター他SNSの「いいね」機能にも何も文句はありません。むしろ言葉なしに「すき」の気持ちを伝えられるから便利で好きです。

 

でも、自分の発言に対して「いいね!」と言われるのは死ぬほど嫌です。死にませんけど。

 

 

裁かれる日常

 

例えば、

「今日焼き肉食べてきたんだ!おいしかったさ~~」

とわたしがネット上でなく実際に声を出して発言したとして、それに対して

「へー、いいね!」

と返されるとちょっとイラッとくる。

 

あーーだめ、これじゃ分かりにくいですね。そもそも何て返せばいいのやら。

 

えっと、例えば

「髪切ってきたんだー」

に対して

「へー、いいね!」

と返されるとイラッとくる。

 

うーーーん、上手い例えが出ないんですが、端的に言えば相手に自分の行動の審判をされるのが嫌なんですよね。

 

 

いいねの裏を返すと

 

「いいね」っていうことは「良いね」ということで、「良いね」の反対語は「悪いね」なわけです。

だから「そうなんだ、いいね」と言われると、

 

「その行動は良いことだ、合格」

 

と判を押されてるような気持ちになってオエェェーーしちゃうんです。

いいか悪いかは自分で決めるさ!

周りに迷惑かけないことなら別に何を思っても何をしても自由なはず。

ああ、想像しただけではらわたが煮えてる。

 

それは感想ではなくジャッジ

 

「髪を切った」に対しては、「気付かなかった」「短いのも似合ってるね」「かわいいね」「切ったね~~~」など、わたしなら感想を述べるでしょう。

そこから話が広がり、たのしい時間を過ごします。

 

しかし、「いいね」はどうでしょう。

 

甲「髪切ったんだよ」

乙「いいね!」

 

ずいぶん上から見られたものです。

乙のどこに決定権があるのでしょうか。

 

そしてそこで話は終了。

悲しそうな顔をしたわたしが爆誕します。

 

(超コミュ障の私のコミュニケーションハウツーとか超ウケるんですけど、ハウツーじゃなくて「いいね」との対比のためなので許してください)

 

求めていない審判

 

「わたし○○なんですけど、どう思う?」

 

もしこう話を振った場合に「いいんじゃない?」と返ってきても怒りませんし嬉しいです。リクエストマッチ。問題解決。

「いいと思う」=「アリ」だと太鼓判を押してもらったことでわたしはとても安心できます。

 

しかし、

 

「わたし○○なんですよ」

 

と話した場合に、第一声で「いいんじゃない?」が来ると、そこでやはりイラッとしちゃいます。

 

「ていうかえっ、わたしが○○を悪いことだと思ってるって思ったの? なんでなんで? えっこれ一般的に考えて悪いことなの? これは話の前提であってわたしはその先の本題を話したいんだけど前提から否定されたんですかえっ」

 

というように最悪、人格全否定された気持ちになります。卑屈だとは思う。

 

あとねあとね、私が公的な場で(講演とかね)考えを人に発表して、いただける反応が「とてもいいと思いました」だと微妙な心境になるの。

いや、嬉しいけど!うれしいんだけど!だけど……!

 

 

こちらから頼んだ場合を除いて、人のジャッジなんて不要なんです。

たしか、カウンセリングの現場でもジャッジは禁忌とされてます。わたしはカウンセラーでもなんでもないけど。

何かをするのにいちいち人の許可がいるなんておかしい。

自分のことは自分できめる!(中二)

 

でもこれは相手だけが悪いんじゃなくて、こちらも相手に勘違いさせないような話の振り方を工夫する必要は大いにあります。

どうしてもジャッジされたくない箇所はさらっと言ってさっさと本題に移るなど、相手が間違わないように注意して話すべき。(どんな言い方しても何に対してもジャッジしてくる人もいますが)

 

……と言いつつ、何も相手は事前に許可不許可を決定しているんじゃなく、これまでの例の場合すべて事後報告→「いいね!」なので、害はない。

 

けーーーどーーーー、

 

やっぱりジャッジはされたくない!!!!

 

これに関するイラッと感は総じて、どこから来ているのか分からないけどなにかしらの理不尽がモヤモヤと漂い続ける系の、原因も分かりづらければ解消もしづらいという厄介な”隠れイラッと”なのです。

そしてそれはこうやって少しずつ紐解いて言語化しないと正体を現さないのです。めんどくさ!

 

(あ、一番めんどくさいのはひとつの言葉にもいちいち律儀にイラッとするわたしですかね)

 

 

善悪は主観でしかない

 

善悪は主観です。超超超主観です。

この世に絶対的に正しいことなんてありはしないのです。(泥棒とか殺人とかは絶対にだめだけどね)

時代とか国とか文化とか、育った環境によって簡単に形を変えちゃうんです。

ひとりひとり違う正義を持ってるんです。

 

だから、人に対する「いいね」は自分の価値観の押しつけなんです。

 

「どう思う?あなたの価値観はどう?」と聞いた場合を除いて、この世には人の数だけの正義が並行して存在するのだということを理解してほしいです。

 

「あなたがそれを嫌いでも、それが存在することは許してほしい」

 

わたしの大好きな姉が常々言っていますが、完全同意です。

「良いか悪いか」なんてほんとは存在しない。あるのは「好きか嫌いか」だけなんですよ。

 

とはいえそんな不鮮明な世界じゃ生きづらいから、人間はある程度「良い/悪い」というを境界線を持って生きています。ある程度決まりがあった方がいちいち考えなくていいから楽です。もし決まりとか習慣とか一切なければ、何するにもいちいち考えなきゃいけないので生活が成り立ちません。疲れます。疲れるのいやです。

 

すべてを許容しろとは言いません。

 

線を引くのも自由だし常識という枠を作るのも自由です。ただ、それをそのまま押し付けないでほしいんです。並行世界みたいなもんですから手出し無用です。

 

「いい」という日本語が便利すぎるんだよね。

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飛び火

ギャーーーーーーー!!!!!!!

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